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第七 かみきぬた(7-2~7-4) [第七 かみきぬた]

    駒宮如岡を悼(いた)みて
7-2 露霜に手を合(せ)たる紅葉哉
 この前書の「駒宮如岡」と抱一の関係は不明だが、その追悼句であり、掲出句は、手の込んだ仕掛けのある句ではなく、「露霜」(晩秋)と「紅葉」(晩秋)との、「古歌」などを踏まえての「取り合わせ」の一句と解したい。

露霜の消やすき我が身老いぬともまた若反り君をし待たむ 『万葉集(巻12-3043)』

(露や霜のように消えやすいわが身ですが、たとえ老いてもまた若返り、あなた様を待とうと思います。)

https://manyoshu-japan.com/10535/

朝霜の消ぬべくのみや時なしに思ひわたらむ息の緒にして 『万葉集(巻12-3043)』

(朝霜はたやすく消えていくが、そのようにはかなく消えてゆくのみだろうかこの恋は。時を定めず恋い続けるだろう細々と。)

https://manyoshu-japan.com/10533/

こころとて人に見すべき色ぞなきただ露霜の結ぶのみにて<道元:傘松道栄>

(こころは元来無色、露霜も無色、色なき世界に色なきものが消滅するのみ)

https://suikan.seigasha.co.jp/mado54.htm

 この抱一の句は、「露霜」(晩秋)と「紅葉」(晩秋)と、季語が二つの「季重なり」の句で、さらに、「句切れ」からすると、「二句切れ」(二句一章体)とも、「句切れなし」(一句一章体)の句とも取れる、独特の構成を有している句とも言える。

(画像) → http://yahantei.blogspot.com/2023/08/7-27-4.html


「句切れ」(「ウィキペディア」)

露霜に・手を合(せ)たる/紅葉哉 (「二句切れ」)

露霜に・手を合(せ)たる・紅葉哉/ (「句切れなし」)

 この中七の「手を合(せ)たる」というのは、追悼する作者(抱一)の所作で、これを、上記の「句切れなし」の句とすると、「紅葉が・手を合(せ)たる」と、やや、自然の流れのようには思われない。

 また、季語の働きからすると、「二句切れ」でも、「句切れなし」でも、下五の「紅葉」が、主たる季語で、上五の「露霜」は、それを補完する、従たる季語ということになろう。

「句意」は、「『露霜』が一面を白覆っている。それは、忽然と亡くなった『駒宮如岡』が、姿を変えて現れたようにも思われる。しみじみと合掌し、在りし日の『駒宮如岡』を追悼する。眼を転ずれば、ことごとく、『紅葉』の世界である。」


    箕輪石川矦(候)口切出し
    給ふときゝて
7-3 軒にけふはこび手前の時雨哉

 この前書の「箕輪石川矦(候)口切出し/給ふときゝて」は、『軽挙館句藻』に、「箕輪石川候日向守口切出し給ふときゝて」とあり、「伊勢亀山藩の第4代藩主・伊勢亀山藩石川家9代:『石川 総博(いしかわ ふさひろ)』(宝暦9年(1759)~文政2年(1819))」の「箕輪」の屋敷での「口切り茶事」関連の句ということになる。

(画像) → http://yahantei.blogspot.com/2023/08/7-27-4.html

「今戸箕輪・石川日向守の屋敷(「池波正太郎「「鬼平犯科帳」の短編「五月闇」)

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/323360

 掲出の句の季語は、「時雨」(初冬)。「冬の初め、降ったかと思うと晴れ、また降りだし、短時間で目まぐるしく変わる通り雨。この雨が徐々に自然界の色を消して行く。先人達は、さびれゆくものの中に、美しさと無常の心を養ってきた。」(「きごさい歳時記」)

(例句)

一時雨礫や降て小石川 芭蕉「江戸広小路」

行雲や犬の欠尿(かけばり)むらしぐれ 芭蕉「六百番俳諧発句合」

草枕犬も時雨るかよるのこゑ 芭蕉「甲子吟行」

この海に草鞋(わらんぢ)捨てん笠時雨 芭蕉「皺箱物語」

新わらの出そめて早き時雨哉 芭蕉「蕉翁句集」

「口切り」(くちきり)/初冬。「その年の新茶を葉のまま陶器の壺に入れ、口を封じて保存する。冬にその封を切り、茶臼でひいて茶をたてる。口切の茶事として客を招いてふるまう。もっとも晴れがましい茶会として、しつらいや装いに気を配る。」(「きごさい歳時記」)

(例句)

口切に堺の庭ぞなつかしき 芭蕉「深川」

口切のとまり客あり峰の坊 太祗「石の月」

口切りや湯気ただならぬ台所 蕪村「落日庵句集」

口切りの庵や寝て見るすみだ河 几董「井華集」

口切りや寺へ呼ばれて竹の奥 召波「春泥発句集」

(画像) → http://yahantei.blogspot.com/2023/08/7-27-4.html

「口切り茶事ご案内状」

https://ameblo.jp/koisuruchakai/entry-12650644272.html

「句意」は、「近くの、今戸箕輪の石川日向守の屋敷から、口切り茶事の案内状が届いた。折から、その茶事に相応しい時雨模様で、その茶事が行われる茶室の風情が、ありありと偲ばれてくる。」

    歳暮
7-4 鷹の棲む山は霞むかとし樵

 季語は、前書の「歳暮」を受けての「とし樵(年木樵)」(暮・仲冬)。「年内に、新しい年に使う薪を伐りだして来ること。伐り出した薪を年木といい、その山を年木山という。伐った木を里へ舟で運ぶこともあって、その舟は年木舟。薪は家裏などに積んで新年を迎えた。年用意のひとつである。」(「きごさい歳時記」)

 「鷹」(三冬)も「霞」(冬霞=三冬)も季語だが、ここは、「鷹が住む冬霞で茫々とした深山」の意で、「とし樵(年木樵)」(暮・仲冬)の補完的な用例である。

(画像) → http://yahantei.blogspot.com/2023/08/7-27-4.html

「樵夫蒔絵硯箱」(伝本阿弥光悦/江戸時代(17世紀)/一具 縦24.2㎝ 横23.0㎝ 総高10.1㎝/MOA美術館蔵)

https://www.moaart.or.jp/?collections=203

≪ 蓋の甲盛りを山形に高く作り、蓋と身の四隅を丸くとったいわゆる袋形の硯箱である。身の内部は、左側に銅製水滴と硯を嵌め込み、右側を筆置きとし、さらに右端には笄(こうがい)形に刳(く)った刀子入れを作る。蓋表には、黒漆の地に粗朶を背負い山路を下る樵夫を、鮑貝・鉛板を用いて大きく表す。蓋裏から身、さらには身の底にかけて、金の平(ひら)蒔絵の土坡(どは)に、同じく鮑貝・鉛板を用いてわらびやたんぽぽを連続的に表し、山路の小景を表現している。樵夫は、謡曲「志賀」に取材した大伴黒主を表したものと考えられる。樵夫の動きを意匠化した描写力や、わらび・たんぽぽを図様化した見事さには、光悦・宗達合作といわれる色紙や和歌巻の金銀泥(きんぎんでい)下絵と共通した趣きがみられる。また、鉛や貝の大胆な用い方や斬新な造形感覚からは、光悦という当代一流の意匠家が、この制作に深くかかわっていることが感じられる。原三渓旧蔵。≫

「句意」は、「この歳暮に、鷹の棲む冬霞で茫々とした深山に入り、年用意の薪の年木を切り出して、それを背負いながら、その深山から里へと向かっている。」
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