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第五 千づかの稲(5-46~5-49) [第五 千づかのいね]

   門(文)覚上人の院宣を持来たる
    處畫たるに
5-46 伊豆千鳥その足あとの力かな

    李笠翁になろふて
5-47 一幅の春掛ものやまどの冨士
5-48 井の水の浅さふかさの門すゞみ
5-49 水になる自剃盥や雲のみね


    門(文)覚上人の院宣を持来たる
    處畫たるに
5-46 伊豆千鳥その足あとの力かな

(画像) → https://yahantei.blogspot.com/2023/06/5-465-49.html

「那智滝で滝行を行う文覚と、文覚を助ける矜羯羅童子・制多迦童子」(月岡芳年画)(「ウィキペディア」)

門(文)覚上人(「ウィキペディア」)

 文覚(「もんがく、生没年不詳])は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧。父は左近将監茂遠(もちとお)。俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)。文学、あるいは文覚上人、文覚聖人、高雄の聖とも呼ばれる。弟子に上覚、孫弟子に明恵らがいる。

 (中略)

『平家物語』では巻第五の「文覚荒行」、「勧進帳」、「文覚被流」、「福原院宣」にまとまった記述があり、海の嵐をも鎮める法力を持つ修験者として描かれている。頼朝に亡父源義朝の髑髏を示して蹶起をうながしたり、配流地の伊豆から福原京の藤原光能のもとへ赴いて後白河法皇に平氏追討の院宣を出させるように迫り、頼朝にわずか8日で院宣をもたらした。巻十二の「泊瀬六代」では頼朝に直接六代助命の許し文を受け取りにいく。また後鳥羽上皇の政を批判したため隠岐国に流されるが、後に上皇自身も承久の乱で隠岐国に流される結果になったとする。いずれも史実との食い違いが多く、『平家物語』特有のドラマチックな脚色がなされていると言える。 

 (中略)

 那智滝の下流に文覚が修行をしたという「文覚の滝」が存在し、滝に打たれる文覚の元に不動明王の使いがやってきて修行を成就するシーンがよく描かれる。この滝は2011年(平成23年)の紀伊半島大水害で消滅した。


 上記の「那智滝で滝行を行う文覚と、文覚を助ける矜羯羅童子・制多迦童子」(月岡芳年画)は、『平家物語』では巻第五の「文覚荒行」の場面のものである。これに続く、「文覚被流」や「福原院宣」の、流刑地の「伊豆」から「福原京の藤原光能のもとへ赴いて後白河法皇に平氏追討の院宣を出させるように迫り、頼朝にわずか8日で院宣をもたらした」場面を、抱一が描いたのであろう。そして、その画に「賛」をして欲しいと頼まれて、一句認めた「賛」が掲出句ということになろう。

  伊豆千鳥その足あとの力かな

「季語」は、「千鳥」(三冬)。「チドリ科の鳥の総称で留鳥と渡り鳥がある。嘴は短く、色は灰褐色。足を交差させて歩むのが千鳥足。酔っ払いの歩行にたとえられる。」(「季語さい歳時記」)

(例句)

星崎の闇を見よとや啼千鳥 芭蕉「笈の小文」
一疋のはね馬もなし川千鳥   芭蕉「もとの水」
千鳥立更行初夜の日枝おろし  芭蕉「伊賀産湯」

 「文覚忌」(初秋)も季語で、「陰暦七月二十日、真言宗の僧文覚の忌日。もと北面の武士で遠藤盛遠。袈裟御前を誤って殺し出家、熊野で苦行した。神護寺復興、東大寺大修理を主導したほか、頼朝の挙兵を助成。幕府開創後重用された。晩年隠岐に流刑。終焉のことは不明。」(「季語さい歳時記」)

 「前書」との一体性を重視すると、「文覚忌」(初秋)の一句としての「句意」もあろう。

「句意」は、歌舞伎・浄瑠璃の外題にもなっている「文覚上人」の、流刑地、伊豆での「源頼朝」に「後白河法皇の平氏追討の院宣」をもたらした場面も一幅の絵にした。その絵に「賛をせよ」というので、「伊豆千鳥その足あとの力かな」(伊豆の浜辺の千鳥の足跡は、伊豆と福原とを八日間で往復し、平家追悼の院宣を持って帰ってきた「荒行法師」として名高い「文覚上人」の力強い足跡のように見える。)の一句を「賛」した。


     李笠翁になろふて
5-47 一幅の春掛ものやまどの冨士

https://sakai-houitsu.blog.ss-blog.jp/2020-01-23

 上記のアドレスでは、この前書(「李笠翁になろふて」)は、この句に続く「5-48 井の水の浅さふかさの門すゞみ」と「5-49 水になる自剃盥や雲のみね」にも掛かるものと解したが、季語の観点からすると、「5-47 一幅の春掛ものやまどの冨士」(春)、「5-48 井の水の浅さふかさの門すゞみ」(夏)、そして、「5-49 水になる自剃盥や雲のみね」(夏)で、この前書は、「5-47 一幅の春掛ものやまどの冨士」(春)にのみ掛かるものとして鑑賞したい。

「李笠翁」

https://sakai-houitsu.blog.ss-blog.jp/2020-01-23

≪ この「李笠翁」(李漁)については、百科事典(マイペディア)などでは、次のとおり紹介されているが、与謝蕪村と池大雅の競作画帖「十便(大雅画)十宣(蕪村画)図」(国宝)の主題が、李笠翁の山居「伊園」における漢詩に基づくものであるということと、蕪村や大雅に大きな影響を与えた『芥子園画伝』(中国、清初に刊行された画譜)の「序」を起草した、その人こそ「李笠翁(李漁)」ということの方が、上記の抱一の句の前書きには相応しいのかも知れない。

https://kotobank.jp/word/李漁-148469

【「李笠翁」(李漁)→中国,明末清初の劇作家。字は笠翁(りゅうおう)。江蘇省の出身。明滅亡後清に仕えず終わる。自作の戯曲を上演し全国の名家を巡遊。自由で大胆な表現で恋愛や滑稽(こっけい)を扱った《笠翁十種曲》,口語短編小説集《無声戯》,戯曲論,演出論を含む随筆集《閑情偶寄》などがある。日本には18世紀初頭に伝えられ,読本(よみほん)などに影響を与えた。】≫

(画像) → https://yahantei.blogspot.com/2023/06/5-465-49.html

『古今画藪、後八種』(宋紫石画)「笠翁居室図式」(第八巻)「尺幅窓図式」(「早稲田大学図書館蔵・高村光雲旧蔵)

http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_b0132/bunko08_b0132_0008/bunko08_b0132_0008_p0014.jpg

≪ 抱一は、歌川豊春に「浮世絵」、宋紫石に「漢画(明画)」を習ったされ(『日本名著全集江戸文芸之部第二十七巻(追加編二巻)俳文俳句集(日本名著全集刊行会編)』所収「屠龍之技(贅川他石稿)」)、その宋紫石の『古今画藪』に、上記の「閑情偶奇」のものが、上記のとおりに翻刻され、掲載されている。

 この「尺幅窓図式」とは、「窓枠を掛幅に見立て、窓の外の風景を絵として楽しむ趣向をあらわしている」図ということになる。ここで、抱一の、「李笠翁になろふて」を前書きとする「一幅の春掛ものやまどの冨士」の句意は明瞭になってくる。すなわち、「李笠翁に倣って、この窓枠を一幅の春掛物と見立てて、実景の『冨士』を愉しむこととしよう」ということになる。 ≫

「季語」は「春」(三春)。「句意」は、「李笠翁に倣って、この窓枠を一幅の春掛物と見立てて、実景の『冨士』を愉しむこととしよう。」


5-48 井の水の浅さふかさの門すゞみ

https://sakai-houitsu.blog.ss-blog.jp/2020-01-23

≪ この句は、「門(かど)涼み」(外に出て夕涼みをすること・晩夏の季語)の句である。「井の水」の、「井」は、「掘り抜き井戸」ではなく、「湧(わ)き水や川の流水を汲み取る所」の意であろう。「門涼み」とは別に、「噴井(ふきい)」(絶え間なく水が湧き出ている井戸、三夏の季語)という季語もある。

 句意は、「外に出て、団扇を仰ぎながら、涼風の強さ弱さを、丁度湧水の浅さ深さで探る風情で、夕涼みをしている」というようなことであろう。特別に「李笠翁になろふて」の前書きが掛かる句ではないかも知れないが、強いて、その前書きを活かすとすれば、「風流人・李笠翁に倣い」というようなことになろう。

 そして、次の無風流な宝井其角の作とされる句と対比させると、「風流人・李笠翁に倣い」というのが活きてくるという雰囲気で無くもない。

 夕すずみよくぞ男に生れけり  宝井其角(伝)    ≫

「季語」は、「門(かど)涼み・納涼(すずみ)」(晩夏)。「句意」は、「外に出て、団扇を仰ぎながら、涼風の強さ弱さを、丁度湧水の浅さ深さで探る風情で、夕涼みをしている。」



5-49 水になる自剃盥や雲のみね

https://sakai-houitsu.blog.ss-blog.jp/2020-01-23

≪ 季語は「雲のみね(峰)」(聳え立つ山並みのようにわき立つ雲。積乱雲。夏といえば入道雲であり、夏の代名詞である。盛夏の季語)、「自剃盥」というのは、剃髪用の盥というようなことであろう。句意は、「雲に峰の夏の真っ盛りで、自剃盥も、お湯ではなく、冷たい水で、それが実に気持ちが良い」というようなことであろう。」

  香薷(じゆ)散犬がねぶつて雲の峰  宝井其角(『五元集』)

 この句は、抱一俳諧の師筋として敬愛して止まない其角の「雲の峰」の句である。表面的な句意は、「雲の峰が立つ真夏の余りの暑さに、犬までが暑気払いの『香薷(じゆ)散』を舐(なぶ)っている」というようなことであろう。

 しかし、この句の背景は、『事文類聚』(「列仙全伝」)の故事(准南王が仙とし去った後、仙薬が鼎中に残っていたのを鶏と犬とが舐めて昇天し、雲中に鳴いたとある)を踏まえているという。

 すなわち、其角は、この句に、当時の其角の時代(元禄時代)の、「将軍綱吉の『生類憐れみの令』による犬保護の世相と、犬の増長ぶりを諷している」(『其角と芭蕉と(今泉準一著)』)というのである。

 とすると、抱一の、この「水になる自剃盥や雲のみね」の句も、抱一の寛政時代の「松平定信の寛政の改革」と、自己に降り掛かった、その「寛政時代(寛政九年)の出家」が、その背景にあると解しても、それほど違和感もなかろう。

 ここまで来ると。この句の、意表を突く上五の「水になる」というのは、抱一の、当時の「時代風詩」と「己の自画像」と読めなくもない。

 すなわち、この句の「雲の峯」は、「寛政の改革の出版統制や風紀統制」など、また、抱一自身の「若き日の青雲の志」などが、その背景にあると解すると、この句の上五の「水になる」は、文字とおり、それらの「青雲の志」が、「水になる」ということになろう ≫

「季語」は、「雲のみね(峰)」(三夏)。「句意」は、「雲に峰の夏の真っ盛りで、自剃盥も、お湯ではなく、冷たい水で、それが実に気持ちが良い」というようなことであろう。」
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