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屠龍之技(酒井抱一句集)第一こがねのこま(1-7) [第一こがねのこま]

1-7 芹喰ふて翼の軽き小鴨かな

https://kigosai.sub.jp/001/archives/2016

季語=芹(三春)。子季語=根白草、根芹、田芹、芹摘む、芹の水。【解説】芹は春の七草の一つで、若菜を摘んで食する。七草粥が代表的だが、ひたし、和え物にしたり香味料として吸い物に用いたりする。
【例句】
我がためか鶴はみのこす芹の飯 芭蕉「続深川」
これきりに径尽たり芹の中 蕪村「蕪村俳句集」
古寺やほうろく捨るせりの中 蕪村「蕪村句集」

一茶の「芹」の句

http://ohh.sisos.co.jp/cgi-bin/openhh/jsearch.cgi

せり流す雪のけぶりや門の川           梅塵八番/ 文政4
芹つみや笠の羽折に鳴(なく)蛙         句稿消息/文化10
払子(ほっす)ほど俗の引行(ひきゆく)根芹哉 五十三駅/ 天明8
田芹摘み鶴に拙(つたな)く思(おもわ)れな   文化句帖/文化2
あれこれと終に引(ひか)るゝ根芹哉       発句類題集/文政3

其角の『虚栗』(其角編「天和三年版・上」)に次の句がある。

 何ガ故ゾ渓-辺ノ双-白-鷺
 旡(无キ)レ憂ヘ頭-上ニモ
  亦タ垂ルレ糸ヲ
髪あらふ鷺芹とかす沢辺哉
小袖着せて俤匂へうめが妻

※虚栗(みなしぐり)は、宝井其角編の俳諧撰集。1683年(天和3年)6月、江戸西村半兵衛・京都西村市郎右衛門刊、松尾芭蕉跋。其角の最初の撰集である。
 発句・歌仙・三つ物・二五句などを収める。作者は其角・服部嵐雪・杉山杉風・芭蕉らの芭門のほか、貞門派・談林派の俳人も含む。芭蕉の跋文に「李・杜が心酒を嘗めて」「寒山が法粥を啜る」「西行の山家をたづねて」「白氏が歌を仮名にやつして」とあるように、李白・杜甫・寒山・西行・白楽天などを理想とした。漢語の多用、字余り、破調などが特徴で、後に「虚栗調(漢詩文調)」と呼ばれた。芭蕉自身は荘子流に震動して虚実分かたぬ語の使用を讃える一方で、生鍛えな句があることを指摘している。(「ウィキペディア」)

(画像)

https://yahantei.blogspot.com/2023/01/1-7.html

『虚栗集 / 其角』(「愛知県立大学図書館 貴重書コレクション」)
https://opac.aichi-pu.ac.jp/kicho/kohaisyo/books/027_39-40_1/102714946/102714946_0005.html

其角の『虚栗』の漢詩文の前書のある「鷺と芹」の句の句意の探索というのは難しい。前書を除外視して、次の一句の句意を考察して見たい。

髪あらふ鷺芹とかす沢辺哉

 この「髪あらふ」は、「鷺芹とかす」の「鷺」が擬人化的用例で「髪あらふ」のであろうか。それとも、二句目の「小袖着せて俤匂へうめが妻」と連動させて、その「鷺」に、作者の言外にある「俤(面影)を宿している女性」をダブらせて鑑賞すべきなのかどうか、この二者択一の選択の比重が難しいのである。
 ここで、前回の(参考)で紹介した、「取合せ論の史的考察―その本質と根拠―(堀切実稿)」の、「取合せ論」の、「とりはやし・取囃」(「こがねを打のべたるがごとく」― いわゆる「一物仕立て」の句)」と「取合わせ」(「発句は物を合(あは)すれば出来(しゅったい)せり」― いわゆる「二物仕立て・二物衝撃」の句)」との問題が生じてくる。(「取合せ論の史的考察―その本質と根拠―(堀切実稿)」では、「― すなわち「取合せ」て、かつ「こがねを打ちのべたる」ようになった句を理想としたものであること― したがって、「取合せ」と「こがねを打ちのべたる」句とは、相互に矛盾せず、対機説法ではなかった。」という立場のようである。)

 しかし、これらは「発句(俳句)」論に比重をかけていて、「俳諧(連句)」論に根差すと、次のアドレス(「猫蓑通信」第42号 平成13(2001)年1月15日刊より)のものなどが参考となってくるであろう。

http://www.neko-mino.org/renkuQA/A42.html

「 Q42・「あなたの句は俳句だ」とは連句の座で、あなたの句は俳句だと言われることがありますが、これはどういう意味でしょうか。」

「 A42・「俳句(発句)には一句一章のものと二句一章のものがあります」(三句一章体というものもありますが、極めて稀であるため、ここでは取り上げないことにします)。

一句一章例   道のべの木槿は馬にくはれけり
二句一章例   草臥れて宿借る比や藤の花

芭蕉は、一句一章体については、頭からすらすらと言い下すのが上等の発句であると言い、二句一章体については、物をよく取り合わせるのを上手と言い、悪く取り合わせるのを下手というと言って、どちらのやり方も否定しませんでしたが、後者に対しては、物を取り合わせて作る時は、句も多く出来るし、速やかに詠むことが出来ると推奨しております(『去来抄』)。

ところで、この俳句十七字の中で物を取り合わせるという作業は、連句三十六句の中で、前句に付句を付け合わせるという作業に、甚だよく似ております。連句の前句は、それだけでは独立性がないので、これまた独立性の乏しい付句を待って、二つを付け合わせる事によって、芸術性の高い付合になろうとしているのであり、ここに連句が次々と続いてゆく力がひそんでいるのであります。

それ故、たとえば花前の句に対して、二句一章の花の句を付けると言うことになれば、その花の句は全く花の俳句を付けるという事になります。その事自体は特に咎められる事でもないかも知れないが、往々素晴らしい花の句を付けようということに精神を集中して、前句との付味をまったく無視した花の句を付ける可能性が生まれます。このような花の句を、これは俳句と申すのです。

これは花の句ばかりでなく、月の句の外、季語をもった長句にもおこりうる事ですから注意して下さい。

ただ、第三だけは、丈高くという事が絶対条件となっておりますので、わざわざ、大山体・小山体・杉形の作り方が伝わっておりますが、これらははっきりした切字を用いないで、二句一章体とする方法を考えたものです。

  大山   正反合天地のリズムきはやかに
  小山   落第子口笛を吹く樹によりて
  杉形   新走り強き香の鼻うちて

みな、体言の独立句を上五にすえる事によって、二句一章体を完成し、ことに落第子、新走りなどの句は季語を入れることにより、俳句となっておりますが、第三に限って脇との付味は問題にされないから、あなたの第三は俳句だとは言われないでしょう。」

これらの、「取合せ論の史的考察―その本質と根拠―(堀切実稿)」と「猫蓑通信第42号)とを、鑑賞視点に据えると、次の、其角の二句は、その全体像の一部分が見えてくる。(前書は、取り合えず、除外視する。)

髪あらふ鷺芹とかす沢辺哉(一句目=「一物仕立て(一句一章体)」の発句)
小袖着せて俤匂へうめが妻(二句目=一句目に唱和しての「二物仕立て(二句一章体)」の発句)

 以上を前提にしての、この一句目の其角の句は、「一物仕立て」の句として、「二つ取合(とりあはせ)て、よくとりはやす(取囃=とりはやす)を上手と云也」のように、「髪洗う=鷺」そして「芹とかす」のも、「鷺(一物)」として鑑賞することになる 。
 そして、二句目の「小袖着せて俤匂へうめが妻」の句は、一句目(「髪あらふ鷺芹とかす沢辺哉)に唱和しての発句として鑑賞するになる。さらに、この句の「うめが妻(梅が妻)」は、次のとおり、寛文二年(一六六二)初演(江戸・勘三郎座)の「歌舞伎・浄瑠璃の外題」として取り上げられているので、それらを加味しての鑑賞ということになろう。
 ここでは、これら其角の句が、抱一の「芹喰ふて翼の軽き小鴨かな」(1-7)の、「その背景に横たわっているのではなかろうか」ということに限定して、これらの其角の句の句意などは省略したい。

(画像)

https://yahantei.blogspot.com/2023/01/1-7.html

[役割番付]寛政7年1月13日桐座
https://www.waseda.jp/prj-kyodo-enpaku/kuzushiji/viewer/yakuwari/ro24-00001-0183/ro24-00001-0183_004.html?id=0162#tab01


※ 芹喰ふて翼の軽き小鴨かな(「こがねのこま」1-7) 

句意=初春を告げる芹の若菜を啄(つい)ばんで、いかにも、その翼(つばさ)が軽(かろ)やかにになったように、すいすいと水辺を泳いでいる子鴨であることよ。

(画像)

https://yahantei.blogspot.com/2023/01/1-7.html

◇ 十二ヶ月花鳥図之内十一月(左)→ 「水辺の鷺」
◇ 十二ヶ月花鳥図之内十二月(右)→ 「紅梅と鴛鴦」
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